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ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

グルメ巻原

 酒にうるさい人が100人いたら、そのうち99人は酒が好きではない。

 本当に好きなものであればどんなクソでも愛せるものだ。そういう度量の大きさが求められている。あなたが焼酎が好きだと言うならば、大五郎だって愛せるはずなのだ。愛とはそういう献身性についての概念なのである。

 これは、どのような「道」であってもだいたい同じで、食通を自認している人は飯を食うことが好きなのではなく、むしろ自分ルールに適合しない食事に難癖を付けることが好きな厄介な人種なのだと俺は思っている。

 もし、彼らがもっと素直になって、「良い物を良いと理解できる俺というストーリーを消費したい」という下卑た品性が発露ちてちまいまちたと歯の抜けた顔で笑ってくださったならば、俺としてもI wish I ware a birdなのだ(現実は非情である)。

 だいたいにおいて、食通は「飯を食うのが好き」ではないし、日本酒通は「日本酒が好き」ではないし、ワイン通は「ワインが好き」ではない。断じてないのだが、お前らの言う親友と俺の言う顔見知りがだいたい一致しているというような事象をどうやって説明すればよいのか。かなりの難題と言わざるを得ない。

 ところで、100人のうちの1人、マジで美味いものしか受け付けないという人間は世の中には居て、彼らは本当の意味で通ではあるのだが、高コスト体質な上に幸せ度が低いし、不味いもん食わせると文句言うし、めんどくせえ。

 グルメはちょっと可哀想である。彼らは、吉野家で牛丼を食う瞬間のあの感じがわからないのだろうか。徹夜明けに雀荘から出てきてデフレ飯を胃袋に叩きこむ時、そこには背徳感だけでない何かが、未知の旨味成分か何かが俺のゴーストにささやいていたりする。その囁きを聞き取れない者も、やはり食に通じているとは言えますまい。

 神は、全ての飯をだいたい美味く作り給うた。久兵衛で握られる寿司も、天龍の餃子も、ホテルオークラの鉄板の上で焼かれるクソ見事としか言いようが無いフィレ肉とバカみたいな値段の赤ワインも、キリンクラシックラガーも、香りの欠片もない280円の駄蕎麦も、米の腐ったような日本酒も、ボトル300円の白ワインも、大五郎も、汝すべからくおいしむべしなのだ。

 俺は、魚民で「ワインリストあるかしら」と躊躇なく言い放った、世間知らずのお嬢様大学○年生を思い出す。あの愚かなお嬢ちゃん、奴こそが真のワイン好きなのであると断言する。んもー、とか言いながら赤ら顔で、ケタケタと笑う勝ち組なのだ。