ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

選挙が終わる度に感じる気分について

 東京都知事選挙が終わった。選挙が終わる度に感じる、いつもの嫌な気分がわだかまっている。不機嫌なので、ブッキラボーに書きなぐっている。

 端的に言って、舛添候補が当選して良かったと思う。ライト田母神選手とレフト宇都宮選手がセンター付近で延々額と額を突き合わせて「あ?」「お?」「やンのかコラ?」「あァ?」「おォ!?」とか言いながらだんだん浮力を得、スコアボードをバックに東京ドーム天井にめり込んでいく一方、町では神輿に乗った馬鹿殿が練り歩き、若い衆は無関心な喧騒を祭りと勘違い、下向いて「渋谷ハックしたなう!」とかスマホに向かって呟やいちゃっている状況の中、俺はほかに誰を選べばよかったっていうのか。ちょっと「女は生理があるから政治家に向かない」と言っているくらい、大目に見てやんないとしょうがないだろう。俺は、メンスが瑣末な問題に退くほどしょうもない選択をしたのだ。義務として。

  選挙には、いつも嫌々行っている。前回然り前々回然り(字余り)。その前も、その前の前も、民主党が勝ったときも、自民党が勝ったときも、東に赤い狐と蔑まれた共産党員が居れば行って赤旗を1部買ってやり、西にベトナム帰りの傷痍軍人が居れば足に包帯を巻きつけて乞食の指南をし(無論汚い台車も与えてやって)、雨にも負けず、インフルエンザにも負けず、病めるときも健やかなるときも、おはようからおやすみまで、俺はずっと嫌々ながらに選挙に参加してきた。猪瀬候補が都知事になったときもそうだ。(前回の都知事選から、一体どれくらいの時間が経過したんだ?)

 往復たかだか数十分、コンビニバイトでも、そこらへんのおばちゃんに捕まってアンケートに答えてても、500円かそこら、その程度の時間。それすら惜しいほど、選挙に行く意味を見出せずにいる。俺が投票することにQUOカードほどの価値もないんじゃないか、そんな疑念を押し殺して、ほとんど意地になって、俺は意地になって候補者の名前を書いて、二つ折りにして、投票箱に入れている。QUOカードのロゴが俺をあざ笑っている。てめえSMILEじゃねえよバカヤロウ。

 次はもう投票に行く気が起きないんじゃないか、政治なんてどうでもいいんじゃないか、英語で暮らせるようにでもなったほうが、リスク分散になるんじゃないか、良い感じの国があればそこに引っ越せるようにしておいたほうが良いんじゃないか、投票が終わる度にそんなことを思う。

 そのように嘆いてみせるこの文章には、なんと1円の価値も無い。QUOカードの圧勝。