ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

鰯太郎の5冊(2015年)

ちょっとクソして寝てたら2016年が6分の1ほど終わってた

「反哲学入門」木田元

 読み終えた時に、「哲学のわけのわからなさ」をようやく少し理解することができた。本来、哲学という概念と折り合いの悪い日本人に、なぜ折り合いが悪いのか、ということを説明し、どうにか哲学の入り口へ立たせてくれる、言わば哲学という学問の懇切丁寧なオリエンテーションである。

 超自然的な概念と自然を対置することを前提した西洋哲学が、日本人にとって如何に馴染まないものであるか、という点から出発している。著者の知性に圧倒されつつも、会話をベースに書き起こされた平易な文章に導かれて、反哲学、すなわちニーチェに至るまでの伝統的西洋哲学の重要なポイントが頭の中に整理されていく。読んでいて気持ちの良い、稀有な哲学入門書だ。

 この本はとてもおもしろかったので、

哲学おじさん集(あるいは西洋哲学史概説としての反哲学入門) - ガタガタ鰯太郎に内容をまとめてある。

「死に魅入られた人びと―ソ連崩壊と自殺者の記録」スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ

 ソヴィエト崩壊によって急激に変化した社会が生み出した歪みに、精神的な意味で落っこちてしまった人々の記録。かつて存在したソ連という国は色々な意味で遠い存在だが、そこで起きた出来事、暮らす人の声を通して、ソ連とは何だったか、すこしだけ具体的なイメージを与えてくれた。著者は今年のノーベル文学賞を受賞している。

 

「アマニタ・パンセリナ」中島らも

 テングダケのことである。古今東西のドラッグにまつわるエッセイ集で、その多くは実体験に基づくエピソードが主体。中島らもほど幅広くキメている作家はそうはいないだろうが、重度のアル中、そして躁鬱だった中島らもをしてさえ、「本当に堕ちていってしまった自分の周りの人達」に、ある種の嫉妬、愛惜とでもいうべき柔らかい眼差しを持っていることに妙な共感を覚えさせられた。その正常と異常の狭間の感覚は文章の手触りによく現れていて、この人は人間が好きなのだ、という感じがする。しなやかな説得力がある。

 「弥勒」篠田節子

 2015年の後半はポル・ポトクメール・ルージュに興味を引かれていた。その最中に、不意に出くわした一冊。1975年から1979年頃にかけてカンボジアで実際に起こった出来事を下敷きとしている。物語は、ネパール、チベットの近隣に存在し、他に類を見ない仏教美術が花開く架空の小国家、パスキムに起こった政変が舞台だ。

 深刻な飢餓状態の農村で、細々と実った収穫と引き換えに輸入した地雷を強制労働で敷設させられ、革命指導者はその地雷をどこに埋めたかを記録すらせず、次の日にまた同じ場所に地雷を敷設する命令が下され・・・、唖然とするような不合理が次々に起こる。

 創作が、かえって正確に現実を伝えるという、小説家の見事な仕事だ。強制収容所同然の農村での過酷な肉体労働、強制結婚、反政府運動に巻き込まれかけて殺されかける主人公の懊悩、性、病、死生を通じて描かれるグロテスクな理想社会とイデオロギーのヤバさが生々しい。この小説を読むと、「平等」という言葉の意味を再考せずにはいられない。

「一九八四年」ジョージ・オーウェル

 一九八四年という小説は、2+2=5という一本の等式で表すことができる。種明かしは実際に読んでのお楽しみだ。間違ってもwikipediaで調べたりなどしてはいけない。wikipediaの情報は、常に誰かの手によって正しく更新され続けているからだ。

 後にRadioHeadに引用された「2+2=5」という曲が、この小説の雰囲気、あるいは2+2=5の意味についての多少のヒントになるかもしれない。とにかくおれはディストピア小説が大好きなのだ。それも、絶望的なら絶望的なほど良いのだ。これを読まずに一生を終えるなんて、そんな勿体無いことがあるか。カラッとした、殺伐としたSFがもっともっと復権してほしい。