ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

ジェネレーション

 台所で妻と他愛ない会話をしていて、何かの拍子に「え!?シュワちゃんが妊娠!?」と答えたのだが、なんですかそれ、と言われてしまった。妻は9歳下の平成元年生まれだ。

 近頃、まずいことになってきていると感じている。例えば、AV女優、という言葉はいまや正確ではない(ビデオではなくDVD)。更に、巻き戻すという言葉すら概念と化していたりする(DVDの何を巻くというのか)。日常的に使用する言葉の賞味期限が切れかけているのだ。

 こっそり見たAVを再生開始位置まで巻き戻してから元の場所にしまうというような体験が、Googleの検索履歴を消しておくことに置き換わっていたりするのだろう、と伊集院も言っていたような気がする。こうやって、ジェネレーションは加速していく。(ついでに、見えない銃を撃ちまくる)

 ところで、今の少年たちのことが心配だ。若きペニス達の未来が危うい。いきなり上原亜衣とか尾上若葉とか由愛可奈とかを見て、なんかすごいことにならないのだろうか。紗倉まなの本物感とか、直視しちゃって大丈夫なのだろうか。

 まずはドット絵で春麗のパンチラくらいから入って、電影少女における桂正和先生の尻への異常な執着に慄き、ノイズだらけの映像の中でアザラシみてえな女が絡んでる、画面の半分がモザイクのデスクリムゾンみたいなAVを経て、ようやくたどり着いた堤さやかのありがたみを感じる。そういうステップが情操教育に不可欠なのではないだろうか。いきなりの紗倉まなは、連載開始時点でローマ法王島耕作、というくらい身も蓋もない。(次は何に出世するの?大宇宙意思?)

 それくらい紗倉まなはすごい。本物過ぎて怖い。不世出の大エロスで、あれは坂口安吾言う所の天然の媚態という奴を備えている。頭のテッペンからつま先まで、チンポから何かを搾り取るために存在しているエロスの具現体なんだ。わからない人にはわからないかもしれないが、将棋でいうと羽生先生、サッカーでいうと全盛期のロナウドクラスの化け物なのだ。生まれてくれてありがとう。生まれてくれてありがとう。

 ロビンフッドはもうコンビーフになったのだと千葉ユウスケも言ってたし、千葉ユウスケって誰ですか、って言われても仕方ないのが平成27年なんだ。でもオーヤンフィーフィーはなんとなくわかるんだって。基準がよくわからない。