ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

小指のとれ方がいかしてる男

 パパママごめんねと謝った君は、きっと優しかったのだろう。家族に感謝してる気持ち悪い連中に比べれば、君の方がきっとよっぽど傷つきやすかったんだと思う。あれから100年経って、君には見えない何かが、見えてきたような気がする。

 完璧な計算で作られたこの町で、隠された秘密を暴いた者達は、暴かれた秘密ごとすぐにどこかへ消えてしまった。僕が聞いているのはかすかな残響だけで、君が見ているのはわずかな残映だけだ。

 半透明の僕が水たまりに映る小さな月を撫でている横で、君は逆上がりの世界を見ていた。曇った空を踏みしめた野良犬が、ひっくり返った声で誰かの名前を呼んでいる。21世紀初頭の様式を模したパーソナル端末から流れるのは、溢れ出した愛が御前崎に押し寄せて、何もかもをみんな攫ってしまったのだという音声通信のパケットだった。結局、彼が恐れていたことは正しかったのだと証明された。

 僕が君に挨拶をすれば、君は僕に別れを告げる。僕が頷けば、君は首を振る。君が僕のことを理解したとき、僕は君のことを誤解していた。もう一度、もう一度。赤い果物を、音を立てて噛み砕いた。探しものは見つかるかもしれない。見つかるのは、きっと探していないものだろう。ビットの海からサルベージされるのは、フェイクのゴム植物や、スチロール樹脂製の壊れた人間だ。0と1が奏でる遠鳴りが、海馬の代替機構に働きかけて郷愁をエミュレートしている。msec単位のトランザクションがあらゆる整合を監視して、絶え間なく不整合を維持しているはずなのに。

  断片化した、あるいは分散された、冗長な、つまりミラーリングされた記憶と、人間に文化という概念が存在していた時代の痕跡がつぎはぎになって、物語も文脈も喪失してしまった。僕が見ているこの景色も、君が聞くその歌も、彼の杞憂も、犬が呼ぶ名前も、もはやその意味を留めているものは何一つなかった。