ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

声が似てる

 御茶ノ水を歩いているときに、友人にちょっと似た男とすれ違った。その男が連れと話しているのが聞こえて、声の方は顔よりももっと似ていた。人体もひとつの構造なので、外観が似ていればそこから発せられる音も似たものになる。そう考えると、なるほどという気がした。

 そういえば以前にも、同じようなことを考えたことがある。俺が働いている会社の事務所に、背格好、服装、髪のふわふわ具合、目の感じ、あらゆる要素が昔付き合っていた女に似ている女性が出入りするようになって、何だこの罰ゲームと思っていたところ、第一声で声もガチ似ということがわかったのだった。結局、俺はその女性とも親しくなり、やがて壊滅的に関係が破綻したところまでワンセットでPlay Station The BESTといった趣であったが、前世のカルマは利息が膨らんでいてどうしようもキャンノットで、いつか必ず返しますから、来世には必ず返しますからと念仏のように唱えている。要するに現世利益である。

 ものまねをする人は、まとう空気、声、仕草などが徐々に本人に似てくる。これは芸が達者になったということもあるが、声を真似ている間にだんだん構造の方も近づいているのではないかと思う。コロッケが美川憲一を覗くとき、美川憲一もまたコロッケを覗いているのだ。

 「何見てんのよ」という声がステレオで聞こえ、コロッケの意識は深い闇に落ちた。(BAD END)