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ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

映画「素粒子」

映画

 「真実は素粒子に似ている それ以上小さくできない」イントロの終わり、タイトルの直前にこの言葉がつぶやかれる。そこに引っかかってしまって、ロクに映画を見れなかった。見れなかったので、代わりに思いついたことを書いておく。

 1.物理学は事物を構成する最小の単位を更新してきた。その最小の単位を、素粒子と呼ぶ。語の定義から、素粒子よりも小さい物質の構成単位は存在しない。だが、現在素粒子であると考えられているものが、50年後も素粒子である保証は無い。すくなくとも、100年ほど前にラザフォードが原子核を発見するまでは、原子が素粒子だと考えられていたのだ。

 2.真実と素粒子が似ている、と言う。いまいちピンとこない。そもそも真実という語自体がうさんくさい。うさんくささをさて置いたとしても、真実は様々なサイズであり、それぞれにゴツゴツと不揃いであり、何かを構成する最小の単位として分解できるような代物では無い。真実は還元主義とは馴染まない。要素に分解すると、全体としての性質を失うからだ。強いて言うなら、分子に似ていると言ったほうが適切だと思う。水とオキシドールは元素に分解するといずれも水素と酸素となるが、分子状態ではまったく異なる物質である。

 3.こういうことは、言ったもん勝ち、というところがある。例えば、「宗教は、肥大化してアーキテクチャを理解するものが誰も居なくなってしまったオブジェクト指向言語のライブラリのようだ」などと言ってみる。確かにそうだ。そうなのである。これは酩酊している時に酩酊している奴を相手に俺がぶち上げた、オブジェクト指向言語の枠組みでキリスト教を再解釈する珍説である。は?と思うかもしれないが、俺はそう思っている。インターフェースを共通化し、内部的な動作を隠蔽し、クラスを拡張、継承し、機能を追加し、バグを修正し続けていった結果、信仰とは何か、誰もわからなくなってしまったのだ。ほら、意味わかんないでしょう。だから、真実は素粒子に似ている、と言ってみてしまうのもよくわかる。俺は、素粒子より分子っぽいよな、と思うが、そんなことはどうでもよろしい。

 4.映画は学問ではないので引き合いに出すのはちょっとおかしいのだが、ソーカル事件、という学者が仕掛けた意地の悪いドッキリの教訓を忘れてはいけない。それっぽいことを言っているように見える文章をじっくり眺めてみると、結局何を言っているのかよくわからない、ということが結構ある。俺がアホだからなのか、記述されている内容が不明瞭なのか、余白が少ないのでここに書き記すことはできない。

 

 肝心の映画の内容の方はめんどいので書きません。なーーんか勿体無い匂いがプンプンした、ということはお伝えしておきます。これは勘なんですが、多分原作小説の方は面白いパティーンです。映画の最後にとってつけたように語られる数十年後の未来のエピソード(真っ黒の画面に映しだされた文字、それを読む誰か。原作を消化しきれなかった雰囲気。)それから、途中に「すばらしい新世界」について主人公二人が語るシーン、この2つを見て、これ元々はディストピアSFなんじゃねえの?という気がしたんです。もしそうだとすると、大好物オブ・ザ大好物なので、こんど原作の小説の方を読んでみたいと思います。

 寄生獣アニメ化&映画化によって原作厨と化した俺が、理系の用語で文系の思想を好き勝手絶頂にお送りいたしました。(めでたくもあり、めでたくもなし)

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