ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

書き散らし(Perfumeはファーストアルバムがベストにして至高)

 Facebookのタイムラインでこういう記事がシェアされてきた。

 完璧な計算で作られたかに見えるあまりにも欲望にマッチした記事なんで、フィクションじゃねえんですかと思いました。みんなが読みたいと思っている文章、ってのは一体なんなんだろう。でも、こういう文章を読みたいと思ってる人は多そうだよな。雲と雲の間を突き抜けてかゆいところに手が届くだろ感。書いた奴のドヤ顔感。クッソー、夢の中で殺してやる!今宵俺は大都会で眠りながらバイラルメディアを殺す王となる。殺したるキングに俺は成る。振り返るとそこに見えていた景色が消えた。グランドラインは果てしねえー。

 「お金よりも大事なことがある」ということを「お金の大切さを教えようとした親」が「子供に気付かされる」、展開上手だよねえ。イノセント子供モデルとでも言えばいいのか。大人が言うより子供が言う方がインパクトあるですよね、こういう話は。

 メディアでフリーキーなキャラクターが過激なことを言ってもある程度許されるのと、基本的には同じ構造。子供、オカマ、「普通の大人」とは異質な存在。美川健一、おすぎ、ピーコ、おすぎ、ピーコ、おすぎ、ピーコ、ピーコ、1、2、3、4いちにとさんハイ、あとマツコデラックス。こういう連中以外で、「うるっせえ死ね馬鹿」とか言って許されるのって、有吉くらいだよな。有吉ってすげえなあ。

 誰が言っているのかによって、聞く側の構えが全然違ってくる。これは間違いない事実で、情報を発信する側もそのことを考慮してストーリーを組み立てる。この記事が事実かどうかは不明だが、記事として「美味しい」という判断はあった筈だ。

 それと、「お金より大事なことがある」という結論。元の記事だけ読んだら、「やっぱ金持ちの家の子は教育水準も高いし、心にも余裕があるんやね」って持って行くことも不可能ではないと思うんだけど。お客が欲しがるものを出す、メディアも客商売という言葉を思い出す。メディアは果てしない読者の欲望を満たすために、心のサプリメント的に機能する文章を各種取り揃え、それを善意っぽい何かが拡散していく。なんなんだこのグロテスクな世界観は。

 「多くの人に好まれる文章」というものを考えるとき、一体、どっちが車輪を回しているのかわからなくなる。最初に好きとか嫌いとか言い出したのは一体誰なんでしょうか?伝説の木下君がS極とN極のように、パッパッパッ今引き合う~ム。Are you ready?

 俺が今まさに書いているこの文章は多くの人に好まれるタイプの文章でもないのに、さりとてそれほど俺が書きたい感じの文章でもない感じの感じになってしまっているのですが、人生ってままならないですね。Perfumeはファーストアルバムがべストにして至高だと思います。