ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

酔っていることの証明に、私の涙を瓶に詰め、府中のどこかに置きましょう。

 キッチンで酒を飲みたい気分になることがある(キッチンドランカーではない)。なんというか、座って飲むのが落ち着かない。

 今しがた、酒を飲みたくなった。酒が美味いと思ってのことではなくて、強いて言うならグラスをカラン、としたい気分になった。暖房の効いた暖かい部屋では駄目で、冷えたキッチンで、シンクにもたれて、換気扇の下で煙草を咥えながら、益体もないことだけを考えながら、しんしんとしたい。既に一人なのに、もうちょっと一人になりたい。そういう感じの時間が不意に浮かび上がってくることがあるよねえ、と言って、ご理解頂けるだろうか。

 そのような時に、そのようにしていると、思考は流れ始める。(書き留めるために一度流れを止めなければならなくて、少々もどかしい。)他に何かやらなければいけないことがあるときには特に。脳細胞が冴え渡り、独創的なアイディアと素晴らしい計画が頭の中を埋め尽くす。どれ一つ実行には移さない。

 こんな時、可愛い嫁さんが隣に居れば言うことは無いのに。と思ったが、果たしてそうだろうか。都合の良い空想、危険な妄想。だいたい、俺は会話が苦手だ。苦手が過ぎるあまり、会話中の記憶がほとんど残らない。自動操縦になっているから、俺が考えていることと全く関係なく口が動いていて、自分が何を喋ったのか、よく分からないのだ。全部嘘さ?そんなもんか?いやいや嘘ではないけれど、勝手に動いた口が何を言っているかは俺の与り知らぬところであって、人と会話をするのは難しい。3時間ほど喋って覚えているのが「ババアマッチング」「マック赤坂店」「ムッシュムッシュ都知事選」という三語だけだったりするのだから、高望みをしてはいけないのだ。恋人以上人間未満とはよく言ったもので、「隣にいてくれて嬉しい」ような関係性を誰かと築くことができるなら、とっくにやっている。うっかりしてはいけない。うっかり、しては、いけない。(書いたことは残る。心配がなくて良い。)

 今この酒は、美味いから飲みたい、と思って手にとっていない。舌の上に乗せて、酒の味を改めて確認してみて、美味いと思うだろうか。だって、変な味じゃないか。「酒が飲みたい」と言った時、それはなんとなく手に取るべき、然るべきタイミングであるような気がするというような気分に拠っている。あるいは煙草もそうだろうか。禁断症状だと言われればそれまでだが、人間の行動を決定づけているのが化学物質の作用だと思うと、それはそれで趣深くもある。綺麗事の通用しない因果関係は、美しいとは思いませんか。

 などという話を興味深げに聞き、異なる視座から見解を述べて男を退屈させず、さらに一発やらせてくれる女が出てくるのが村上春樹の小説である。俺はキャバ嬢になれば絶対に太い客がつくんだがなあ、と心から思う。乾杯。