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ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

潔くも柔くもないドブネズミみたいな俺が映画「潔く柔く」を見たあまりにも正直な感想

映画

 無謀にも、「潔く柔く」を見てきました。ネタバレ全開の感想を書くので、未見の方は是非劇場へ足を運んで頂いてからお読みください。なお、原作漫画は未読です。

だいたいのあらすじ(超適当)

 主人公カンナには、物語の序盤で「春田の死」という大きな葛藤が与えられる。「潔く柔く」は、カンナがこのショックを乗り越え、新しい恋に辿り着くまでを描いた映画だ。カンナと春田は幼なじみで、初恋の相手。しかし、二人に勇気が無いためにそれを互いに伝えられないでいる。カンナは春田が好きなのに、自分の気持ちに向きあおうとしない。だから、友達グループの別の男、真山に言い寄られてもはっきりした態度を取らずにいる。

 真山に誘われるまま、カンナは花火大会に出かける。その間、春田はガソリンスタンドでバイトしていたが、帰り道、自転車に乗りながらカンナにメールを送っていたため交通事故にあって死んでしまう。

 第二幕は、それから7〜8年後。カンナの恋の相手となる赤沢が登場する。赤沢はカンナ同様に人の死に関する心の葛藤を抱いていて、それを乗り越えようとしている人間である。だから、赤沢の言葉はカンナに刺さる。刺さるが故に、カンナは怒る。図星だから怒りマックスである。しかし赤沢は、カンナに対して突き放すでもなく、冷静に淡々と接していく。カンナは次第に心を開いていく。最後は赤沢がカンナに告白して、ハッピーエンドだ。めでたくもあり、めでたくもなし。ハッ!(和田アキ子並の声量)

優れたストーリーには、変化の過程がある

 様々なストーリーを分析し、その共通点を研究したハリウッドの第一人者が記した「神話の法則」という物語の構造についての本に、以下の一節がある。 

 すべての優れたストーリーに共通して言えることは、ヒーローが、「失望から希望へ」、「弱さから強さへ」、「愚者から賢者へ」、「愛から憎しみへ、そしてまた愛へ戻る」という変化の過程があるということだ。

 ヒーローは一つの段階から次へ進むための旅をすることにより、成長し変化を遂げるのである。こうした精神的な旅が観客を引きつけ、そのストーリーを見るに値するものにしているのだ。(Christopher Voglar,神話の法則,岡田訳,p.42)

  これは、「変化の過程が無い物語は必ずつまらない」ということを意味してはいない。例えば、チェルシーホテル、コーヒーアンドシガレッツなどは、そのような意味で対照的な魅力を持った映画だと言える。

 そしてまた、「変化の過程があるストーリーは、必ず優れている」ということも意味しない。「潔く柔く」には、変化の過程がある。主人公は、春田の死という失望を経て、赤沢との新しい恋という希望にたどり着く。しかし、そこに成長は無い。俺は、それが不満だった。全てが相手任せで、カンナ自身はただただ流されていくだけ。突然、赤沢という白馬の王子さまが現れたのだった。

成長が無ければ、魅力的なストーリーにはならない

 春田が死んだことに対して、カンナにどれだけの責任があるのだろうか。因果関係としてカンナのせいでは無いことは明らかだし、カンナが事故を止めることは出来なかっただろう。子供を失った親がしばしば陥る、「あの時私がああしていれば」というような、意味のない後悔。未来は誰にもわからない。予知能力は存在しない。だからカンナは悪くない。

 しかし、カンナは自分を責めている。仕方の無いことかも知れない。自分を責めているのならば、カンナはどうすればよかったのだろう。正解は無いのだが、俺は、さっさと春田に好きだと言って、真山に言い寄られてもきっぱり断っていればよかったと思う(そうすれば春田が死ななかった、という訳でも無いんだが)。

 大切な人が死んじゃって、カンナは深い悲しみに包まれた。悲しい。悲しい。ただただ悲しい。教室でいきなり叫んじゃうくらい悲しい。10年近く経っても、まだ「平気になっていくことが怖い」とか言っている。なにかの成長の糧にする様子も無い。むしろ、悲劇のヒロインの証拠たる聖痕が消えてしまうことを嫌がっているようにすら見える。悲しみに浸っていれば、現実は見なくても済む。

 なんやかんやあって、赤沢とカンナが心を通わせていく過程のシーンでも俺はイライラしっぱなしだった。赤沢は言う。「面倒くせえなあ。ほっとけねえんだよ!」俺は思う。「ここまで面倒臭い女だと、ほっとくんじゃねえかな。長澤まさみと一発やれるっていうなら話は別だけど。」身も蓋もない。

 好んで不幸を引きずっている人に対して、根気強く優しく諭してくれる物好きが現れるというのは、稀有なことだ。カンナは全然変わっていないのに、無理やり心をこじ開けようとする赤沢の謎の努力のお陰で、幸運にもカンナは変わろうとするきっかけを得ている。にも関わらず、カンナは最後まで全く成長を見せない。

 ラストシーン近くで、カンナは野原という性悪女に「赤沢と付き合うことになった」という嘘を吹きこまれる。カンナは赤沢に惹かれているにも関わらず、赤沢にその真意を確かめようともしない。それどころか嘘を真に受けて「私、身を引きます」というような態度を取った。このシーンを見せられた瞬間、俺が思ったことを極めて正確に表す有名な一コマがあるので、貼っておこう。

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 結局、春田と違って赤沢は死ななかった。生きている。そして、赤沢は高校生ではなく大人だった。だから、事情の説明も無しにいきなり「身を引きます」とかわけのわからんことを言っているカンナをちゃんと引き止め、思いを言葉にしてくれた。ただそれだけである。最後の最後の場面まで、カンナは自分で決断することが出来ない。それなのに、勝手に幸せになってしまった。それで俺は、こんなに納得が行かないのだ。 

 カンナが最後に自分の足で踏み出せていれば、一定の納得感があったかもしれない。しかし、期待は悪い意味で裏切られた。不幸に浸るザマを見せつけられた挙句のラストシーン。飾らない言葉で書きましょう、俺の感想。「女は顔が良いと人生イージーってことなんだね(ニッコリ)」

 というわけで、主人公がかわいそうな状態になり、それに共感して泣き、岡田君がそれを助けに来てくれて主人公が幸せになり、よかったねと共感して泣く。そんな楽しみ方が出来る人にはおすすめの映画でした。(なんか書きっぷりがひどすぎる気がしてきたが後戻りはするまい) 

フォロー

 とは言え流石にこれではあんまりなので、いくつかのフォローを試みる。まず、同日の午前中に「まどか☆マギカ」を見ていた関係で、俺のグリーフシードは既に濁りきっていたのだ。俺の周りだけイヌカレー空間になっていて、俺が潔くも柔くもないわけです。(まどマギ超おもしろかったですね)

 それに、そもそもこの映画のターゲットから最も遠いところにいる存在、それが私です(倒置)。つまり、見に行って文句を言っている方がおかしいのだ。ごめんなさい。嫌なら見なければ良い、そういうことである。見た理由は後述するのだが、ただまあ、見てしまったのだし、感想は記しておこうというヒネクレ精神がこのような形で発露した。申し訳ないと謝罪しておく(俯いた俺は舌を出しているが)。 

 一言でいうと、俺にはこの映画を楽しむだけの幅や余裕が無かった。例えば「池脇千鶴良かったわー」とか、「岡田くんかっこよかった!抱かれたい!」とか、「わかるー!泣けるー!」というようなあたたかな気持ちに欠けていた。今後一生欠けているかもしれない。潔く柔くを見て泣いたひと、どうか気を悪くしないでください。違う感想を抱いたけど、それだけのことで悪意はないんだ。俺はあんまり楽しめなかった。そして、カンナに腹が立ちまくった。

 もし監督がそこを狙っていたとしたら、素晴らしい映画だった。通り一遍の恋愛映画の装いで、何一つ決断できない悲劇のお姫様が何の成長もせずに白馬の王子に娶られる様子を描くことによって、観客に苛立ちを生じさせる。その感情をフックに、日本社会に網の目のように張り巡らされた、男女観に関するヘゲモニー的言説と、(そうであると認識することすらせずに)アプリオリと錯覚している「常識」、そのバイアスを可視化する、そういった意図でもって撮られた映画だとしたら、まんまとやられてしまったと全面降伏する。というか、今後人に話す時は、そう言おうと思っている。『「潔く柔く」っていう映画は一見恋愛映画なんだけど、ジェンダーに関する重要な問題を提起してると思うんだよね・・・』やっぱりやめよう。くさい。くさすぎる。臭気が非道い。三流の臭いがプンプンする。

 まだ、消臭が上手くいっていない気がする。では、素直に認めよう。俺は岡田君になれなかったことに嫉妬しているのです。だって俺は、岡田君になれなかったんだ!うわー!(頭がかわいそうな奴だと思われることで批判をかわす戦略)

 何故、「潔く柔く」を見に行ったかというと、この映画には大学時代の友人が企画から携わっていて、その仕事っぷり、成果物をこの目で見ておきたかったからというのが理由だ。それで、場所もかつて共に「フラガール」を見た川崎の映画館をチョイスした。学生の頃から映画に関わる仕事をしたいと言っていた奴が、実際にこれだけの規模の仕事を手がけて、そこに自分の関わる人間にチャンスを与える場にして、予算と納期と利害関係の調整をして、それを思うと俺はとてもすがすがしい気分になったのだ。「仕事してんなあ!」と。俺はエンドロールを見に行ったのです。これは、本当。すごく良かったし、非常に満足しました。俺の後輩ちゃんはカンナとは対照的にとても成長していたのです。ブラボー!

 

と言っても全ッ然フォローにはなるまいが諦めてここに眠る(すまんな)