ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

伝わる文章学・第二回

 伝わる文章学、第二回に行ってきた。

 意味が取りやすい文章、意味が取りにくい文章を比較しながら、本多勝一「日本語の作文技術」の内容を一部取り上げ、意味の取りやすい文章を書くコツの説明があった。

 また、内容面では長州力インタビューの例を挙げつつ「抽象的な記述は読者に伝わりにくい」点を中心に説明。第一回課題の添削の中で、「字数とのバランスを見て、要素をばっさり削った方が良いよ」というような話も出た。

 今回の課題は映像作品について800字程度でのレビュー。お題は、今期一番お気に入りの「有頂天家族」に。以下、色々と試行錯誤しながら書いた過程をメモってみる。(メモなのでかなり適当に書きなぐっている)

とりあえず書いてみようとする

 考えるより手を動かすタイプなので、書いちゃえとおもったが、なんか書き始められない。ので、どんなところが魅力なのかを色々と考えてみる。

対象をもう一度よく観察してみる

 何が魅力か?という質問を思い浮かべつつ、有頂天家族を何話か見直し。いい所を書き出してみる。

・「阿呆の血のしからしむるところ」などの言い回し。イカス台詞って、イカスよね。

・会話のグルーブ感や、赤玉先生の頑固ジジイっぷりと、矢三郎が上手く赤玉先生を操縦する感じ。矢三郎優しい。(原作でいうところの、お前の腹の中は先刻ご承知だということは先刻ご承知、というような雰囲気が上手く会話で表現されているところ)

・みんなそれぞれコンプレックスを抱えていて、人間関係が単純じゃない(勧善懲悪のような簡単な図式じゃない。矢三郎と赤玉先生は師弟関係だが、矢三郎は赤玉先生に負い目があったり、赤玉先生は総一朗に矢三郎を託されているが、素直に面倒は見ないし、世話をやかれていることに感謝しない。ツンデレジジイ。とか)

・現実の京都の街を一皮剥くと、不思議な世界が広がっている感じ。自分の街もどっかで不思議な世界に広がっているんじゃないか感。

 ・家族愛。矢二郎兄さんの話とか、不覚にも泣きそう。

  このあたりで、ちょっと浅いなという感じがしてくる。やっぱり何を書いていいかよくわからなくなり、もうちょっと考えてみることに。

比較してみる

 他のアニメとくらべて、有頂天家族の何が特別なの?ということを考え始める。自分で質問を設定して、それに答えを出していく感じ。

・最近は萌えや腐女子に媚びたアニメが増えている。有頂天家族はそうではない。(なぜ?)→女の子キャラが出てこないし、男ばっかりだけどホモホモしくないし。(敢えて言うなら矢四郎がショタ?)ビジュアルや、記号的なフックが意図的にはセットされてない感じがする。海星もほとんど出てこないし。

・最近はマーケティングのしっかりしたアニメが多い。有頂天家族はそうではない。(なぜ?)「マーケティングがしっかり」がかなり微妙な物言いなんだが・・・カテゴライズしにくい、既存のジャンルに当てはめにくい、というようなこと。狸アニメ?(ぽんぽこ以外にあったっけ?)和風ファンタジー?(でも陰陽師的な能力バトルでもないし)他のアニメとカブってる感じがしないのは、ファンタジーだけど厨二要素が全然ないからか?敢えて言うならジブリ系。でも、ジブリアニメとはちょっと違う。たぶん台詞回しがキモ。

・(前項とやや重複するが)最近のアニメは消費しやすいキャラクターを押し出すことばっかり重視されてない?1クール一貫して展開する物語が無い。ぶつ切れで、おざなりなストーリー展開が多い。別に、日常系もハーレムアニメも嫌いってわけじゃないんだけど。1クールに一本筋が通ってるだけで全然面白さが違うよな。好例はまどか☆マギカガルガンティア?ってどっちも虚淵だ!脚本がしっかりしてる、っていうことか?とらドラとか良かったよね。やっぱストーリー無いとね。

ようやく書き始める

 この辺まで考えてやっぱりなんかしっくり来ないものの一応書き始める。マクラに「有頂天家族」が他のアニメとちょっと違うことの説明を入れようとする。「業界が成熟してくると企画書をちゃんと書いて予算取って、みたいなことが必要で、一定の需要が見込める既存ジャンルや萌えやハーレムアニメが多くなるのは仕方ない、でも、有頂天家族って、一言で説明するのが難しい、挑戦的なタイトルなんだよ」みたいな話。でも、これが大幅に字数を取って、どう削っても500字くらい消化してしまう。ので、一旦軌道修正。 第二回講義で話があった、

・具体的に書く

・具体的に書くと字数が必要

・よって、字数に応じて要素を削っていくことが重要

というようなことを思い出しつつ、要素を「現実と地続きの不思議な世界」に絞って書き直し。

第一校

で、第一校がこんな感じ。

 「有頂天家族」という、一言では形容しがたいアニメが放送されている。狸アニメであり、天空を自在に飛行する天狗と、人間に化けて暮らす狸が登場するファンタジーであり、家族愛が主なテーマである。

 森見登美彦による原作小説が持つコミカルで温かな空気、そして人間・狸・天狗の三つ巴、喧々諤々、丁々発止の応酬を存分に表現した脚本が素晴らしい。そして、アニメとしての魅力はその幻想的な映像表現にある。

 舞台は京都。三条通烏丸通、現実に存在する町並みを、人間に化けた狸やら、腰を痛めて飛べない天狗やらが行き交う。

 主人公である下鴨矢三郎は、バー「朱硝子」というバーで偽電気ブランを一杯やる。「朱硝子」は最奥で幽世と繋がり、どれだけ人が入っても満員になることがない。

 はたまた、扇屋西崎商店の廊下の奥は、鬼平犯科帳にでも出てきそうな、船着場を備えた飯屋に繋がっている。船が浮かぶのは鴨川ではなくどこか異世界の水面だ。沖には水没した時計台があり、天狗の力を持った人間の美女、弁天がドーナツ片手に本を読んでいる。

 あるいは、五山送り火の宵。狸達は一族の納涼船を出すのが習わしになっている。下鴨家もまた、弁天から借り受けた奥座敷に乗り込んで京都の夜空に繰り出す。一族同士の確執から小競り合いが始まり、遂には互いの船に向けて花火を打ち込む空中戦。でかでかと上がる大玉の花火を背景に、茶室の縁に足をかけた矢三郎が宿敵、夷川家に向かって大見得を切り、風神雷神の扇をばさりと振るう。

 これら場面の一つ一つが美しい。現実と幻想の境界を溶かすような不思議な魅力に満ちている。自分が住んでいる街のアーケードの上や、空き家の勝手口から続く狭い路地裏も、もしかすると幻想の世界に繋がっているのではないか、という気がしてくるのだ。

 見終わった気分は妄想の天空を自在に飛行する天狗の如し。世界の見え方を少しだけ変えてくれる素敵なアニメーション作品だ。 

 ここからちょっと推敲。

第二校

要素としてはかなり絞れたしぎりぎり字数もおさまったけど、入り口と出口が関係ない話になってるなー、とおもったので、マクラの話をとっかえつつ、全体にシェイプアップして第二校。

 昔、よくこんな妄想をした。夜に目が覚めると、街の姿はそのままで住人だけが居なくなっている。うっかり舞台裏に入っちゃった、そんな気軽さでほくほくと散歩をする。よくみると、繋がるはずのない道どうしが繋がっていたり、あるはずの神社が無かったり。これを思い出したのは、有頂天家族というアニメを見てのことだ。

 原作小説のコミカルで温かな雰囲気と、人間・狸・天狗による喧々諤々、丁々発止の応酬を存分に表現した脚本が素晴らしい。そして、映像で物語世界の幻想的な空気を巧みに表現する。

 舞台は京都。三条通烏丸通、現実に存在する町並みを、人間に化けた狸やら、腰を痛めて飛べない天狗やらが行き交う。

 商店街の一角には主人公である下鴨矢三郎が通うバー「朱硝子」がある。最奥で幽世と繋がり、どれだけ客が入っても満員になることがない不思議なバーだ。

 はたまた、扇屋「西崎商店」の廊下の奥は、鬼平犯科帳に登場するような、船着場を備えた飯屋に繋がっている。船が浮かぶのは鴨川ではなく、異世界の水面だ。沖には水没した時計台があり、天狗の力を持った人間の美女、弁天がドーナツ片手に本を読んでいる。

 あるいは、五山送り火の宵。狸界では一族の納涼船を出す習わしとなっている。下鴨家もまた、空飛ぶ奥座敷で京都の夜空に繰り出す。そこで一族同士の確執に火が付き、遂には互い花火を打ち込む空中戦。大玉の花火を背景に、茶室の縁に足をかけた矢三郎が宿敵、夷川家の船に向かって大見得を切り、風神雷神の扇をばさりと振るう。

 これら場面の一つ一つが、現実と幻想の境界を溶かす、不思議な魅力に満ちている。近所の空き家の勝手口に続く狭い路地裏や、商店街のアーケードの上に、幻想の世界の入り口があるのではないかという気がしてくるのだ。

 気分は、妄想の天空を自在に飛行する天狗の如し。有頂天家族は想像力を刺激し、世界の見え方を少し変えてくれる作品だ。

 

 これで提出、一応オッケーをもらえた。が、なーんかパンチが弱いというか、これ読んでも「有頂天家族見てみようか」という気にならないんじゃないか。たぶん、「伝わるかどうか」というポイントではオッケーで、「引き」や「バリュー」があるかという点では評価していないのだという気がした。

 添削にも、「文章的には特に直すところなし。ただ、他の人がレビューしてもこういう感じに落ち着いちゃいそうな気はする。他の森見作品と比較してみるなど、アプローチはあるかもねー」というコメント。確かに俺もそう思う。その切り口を、どうすりゃいいのかー、というところで悩んでいたんだけど、その解決方法は第三回で明かされるのであった。