ガタガタ鰯太郎A

〜鰯太郎Aは二度死ぬ〜

病気の人

思考の速度に言語野が追いついていない。深刻なバッファオーバーフローが発生する。

 

考えを留め置く一時領域が足りなくて、考えたそばからあふれて消えている。言語化し損ねた「原思考」とでも呼ぶべきなにかは、一度こぼれ落ちるともう二度と帰ってこない。

 

煙草が吸いたい。というこの欲求は、俺の物なのか?さっきから、俺は禁煙すると言っているじゃないか。だから、吸いたいというこの欲求は、俺の欲求じゃあないのだ。そんなことはどうでもいいから煙草が欲しい。

 

だいたい、俺は禁煙なんかしたくないんだ。わしは禁煙ファシズム戦後民主主義の敗北を見とるんだ。一人称が突然わしに。馬鹿が多数派になって、為政者に優しい社会が到来する。おめでとう為政者。ありがとう大衆。斯様に馬鹿は社会悪なのだ。

 

心の奥底で「馬鹿は社会悪なので死ね」と考えているので、誰も左翼の話を聞かない。馬鹿はますます馬鹿になり、無知を誇り、左翼はますます大衆に怒って先鋭化する。本末てんとう虫コミックス収録なのか?は?てめえ何言ってんの?

 

自分と情動を分けて観察する。すると自分とは何か?が限りなく小さくなっていく。煙草、中毒。みじめな私。「私が自分の意思でそう決めた」と信じていたあらゆる決定は、私の意思とは何の関係もなく決定されていたのです。あ、今。あ、今、今。抗っている。あらがってる。俺は吸わない。吸いたいのに、吸いたくない。誰なんだ俺は。

 

神はサイコロしか振っていない。人治主義が大手を振って進軍する。止まらない。止まらない。上昇しつづけるわたくし率。唾棄すべきフロウ。流れ出るわたくし。溢れ出るわたくし。わたくしは氾濫し、見るに耐えない浅ましさ。世にも奇妙な言いがかり。今すぐ煙草を持ってこい・・・

 

 

モンゴロイドが恋愛羊の夢を見ました

「最初に好きとか嫌いとか言い出したのは誰だ?」童貞人民大法廷で糾弾されるサークルクラッシャーズ藤崎。「私は恋愛主義者です」と書かれた大きな板を首に括り付けられ、上目遣いでこっちを見ている。童貞だけが彼女に石を投げて良い。

我が国のコンテンツ産業は恋愛、恋愛、恋愛だらけであり、由々しき事態と言い切れる(どこか広い議場。コロセウム感)。「秋元康が恋愛禁止政策を敷いた21世紀初頭から、恋愛は緩やかに微増し!2025年までには爆発的な恋愛飽和社会が到来します!」第10次安倍政権も調子に乗って「孕ませ内閣」みたいなネーミングをキめ、秋元広報担当官が苦言を呈す。恋愛と妊娠の関係は、あくまで国民には伏せておいて良しとする方針で、秋元担当官は表向き恋愛と妊娠の関連性に言及する必要はなく、とにかく税金を湯水の様に使いたい意向だ。ジャンル「恋愛 」、カテゴリ「恋愛」、ピックアップ「恋愛」「えっ、シュワちゃんが恋愛!?」もはや手段を問わない異常事態、何でもありの様相を呈する・・・(ここで目が醒める)

 

 

「いやな感じ」感想

空気が引き継げるのはだいたい20年分くらいだ、という気がする。子供は主に25歳〜40歳くらいの人がやっていることを見て育つからだ。その差が概ね20年。音楽の流行り廃りも、このくらいの周期でやってくる。

昭和50年代に生まれた子供は、昭和30年代から40年代に生まれたミュージシャン、作家、ジャーナリストなどの表現物を目にしながら育つ。彼らの創作の源になった原体験は、戦後、次いで学生運動ベトナム戦争、並行して経済成長、最後にバブル崩壊といった具合だ。

そんな風に、表現された音楽なり小説なりドキュメントなり映画なりを介して、昭和35年くらいまでの社会や生活の様子を、私はなんとなく想像できる。

今の子供にとっては、オウム真理教、2つの震災、9.11あたりが想像できる限界になるのだろうか。

「いやな感じ」は1960年頃に書かれた小説で、舞台は戦前から戦中、1930〜40年頃であろうと思われる。これは、私にとっては想像の限界ギリギリの年代だ。歴史上の、教科書で学んだ、2・26事件、永田鉄山暗殺、支那事変などが、「現代社会=すぐ身の回りで起きたこと」として描かれる。

私には地下鉄サリン事件の翌日に日比谷線に乗った記憶があるが、作者の高見順は、それと同じような生々しさで2・26事件を記憶していたのだろうと伺える。記憶も空気感も共有していないから雰囲気が掴めないところもあるし、それがかえって新鮮でもある。

この小説は、ヤバさが剥き出しでとても良い。オブラートに包んでいないのだ。ディストピア小説も良いけれど、こういうリアル生き地獄小説もまた良いものだ。地獄でみんな生きている。読んでるこっちには現実感がまるでないのに、ついさっき見てきたことを思い出すように活写するものだから、クラクラしてしまう。良薬でないし口に苦いし、誰の為に書いたのでもない感じがとても良い。高見順は多分、この小説をオナニーのティッシュのように思っていたのではないか。そして多分、360度、四方八方に怒っていたのではないか。